赤毛のアンと世界一美しい島

~ここにしかないプリンス・エドワード島に出会う~
村岡花子と赤毛のアン

村岡花子― 「家族と本」を愛し抜いた人
=美枝・恵理姉妹が語る祖母への思い=

僕にとって、どうしても気になっていること。それは、村岡花子さんが一度もPEIを訪れなかったのはなぜか、という点だ。

「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」では、1968(昭和43)年、村岡花子さんが大阪に住む娘のみどりさんの家に滞在していた時のこんなエピソードが紹介されている。

「ある日、恵理が眠っている間にと、みどりが買い物にでかけ、花子は留守番をおおせつかっていた。しばらくすると、恵理が眼をさまし、すこぶる上機嫌でいろいろ訳のわからないことを喋っていたが、そのうちに花子の顔をしげしげと見つめ、突然わあっと泣き出した。あの手この手でなだめあやしても、かえって泣き叫ぶ。(中略)
この子を置いて母親がどこかへ行くなんて、もってのほかだ。
実は花子は、数週間のカナダ旅行を計画しはじめ、秘書としてみどりを連れて行こうと思っていたのだ。」

生まれて11カ月の娘から母親を引き離し、自分のカナダ旅行に同行させることなんてできない。そうして村岡花子さんはPEI行きを捨て去ってしまう。

その場面の2人の登場人物、泣き叫んだ妹の恵理さんと、母・みどりさんとでかけた美枝さんは、PEIに行かなかった理由をどう考えているんだろう。

家族が大事、本が大事

村岡恵理 PEIに行くことは、祖母の中ではいつも3番目ぐらいの位置だったんじゃないですか。家族と仕事が大事で、その次ぐらい。行けたら行こう、と。

優先順位が低かったわけじゃない、ずっと上位を占めていながら1番じゃなかった。いつかいつか、と思っているうちに亡くなったんでしょうね。

村岡美枝 もうちょっと長生きしてたらカナダに行ってたかもしれない。

村岡恵理 なくなる前に本当に行こうと思ってたわけですから。母を連れて、私を置いて。それを私が阻止、みたいなことになってますけど(笑)。

村岡美枝 あの時のことはよく憶えてますよ。私と母が出かけてたんですよ。母もたぶん、おばあちゃんがいるから大丈夫だろうと、いつもより安心してゆっくりしたんでしょうね。戻ってきたら恵理が泣き叫んでいて。祖母が途方に暮れていた。

村岡恵理 癇が強かったたらしいんですよ。泣き声も大きかったんですね。そのおかげで祖母と私の濃密な時間があるんですけど。

ただ、祖母は書斎の人、書く人だったんだと思うんですね。机の上で本を読んで原稿用紙に向かっているのが一番心地よくて自然だった。実際にその場所に行くこと以上に。

もっとやりたい仕事があったし、モンゴメリの作品だって、訳そうとして訳してない原書があるんですよ。

村岡美枝 自分は書斎の人、という覚悟だったんじゃないでしょうかね。休みを取ってどこかに行くということは、それこそ東洋英和を卒業してからも、ほとんどなかった。なんにもしないでいる方が落ち着かない人だったんじゃないですか。

村岡恵理 本当に仕事人間ですよね。全ては本に、というか、改めて頭が下がる思いがしますね。

本は村岡花子という人の楽しみであり喜びであり使命であり、すべてだったんだろうと。

家族と本、それしかない、という感じがします。

いわゆる趣味人ではないですよ。そういう意味では面白い人ではないのかもしれません。ただ、仕事にものすごく愛がこもってる。

この書斎にいて何を感じるかというと、愛情なんですよ。祖母は本を通して愛を届けた人です。その体温の高さがいまだにここに残っている。だからこうして私たちは突き動かされるし、それを大事にしたい、と思うんでしょうね。

僕の疑問に対する答えは極めてシンプルだった。自分がカナダを、PEIを旅することも大事だったけれど、家族と本の方がもう少し大事だった。ただ、それだけ。

でも、PEI行きが「3番目」の願いで、何かほっとする気もする。そんな人だからこそ、「赤毛のアン」という作品を生み出すことができたのだとも思う。

「家族と本」を愛し抜き、「本の持つ力」を信じ続けた村岡花子さんが、これほどまでに強く結びつけてくれた日本とPEI。

あの美しい島を旅する時、そんなことを少しだけ思い出してくれたら、村岡花子さんもきっと喜んでくれると思うんだ。